トンネルは手掘り

 

疏水船に乗るため、集合時間の少し前に到着したのですが、誰も居ません。

 

 

船着き場も見えないので、少し西へ向かって歩き出した。

そこには疏水の看板と、水路には船が見えました。でも、集合はここではないようで、もとの場所に戻ることに。

すると今度は、めちゃくちゃ愛想のよいお姉さんに迎えられ、中に入れて貰えました。

前の便の乗客が出発するのを待合室で時間調整します。

前の便は満員、しかしこれから乗る便は3組のみでした。

待合室に貼ってあった、疏水の路線図。いや線路図?。田邉朔朗技師の手書きです。(赤矢印は私)

右が琵琶湖、トンネルで山科へ抜け、山沿いを東山へと続きます。

本流は平安神宮前から鴨川へ落ちますが、分線は銀閣寺の方へ北上し、反時計回りに京都の街を横断します。このときワタシはこの分線のことは全くアタマにありませんでした。

これが後悔することになるとは・・・

 

こちらは支保工。左上はオートリア法。当然NEWではない方。

左下はベルジム法?ベルギーのことかな?

いずれにしても、やっぱりここは手掘りなんですね。

 

やっと出発かと思ったら、今度はお勉強の時間でした。

別室に案内され、10分ほどビデオで疏水の歴史を叩き込まれます。

右がこの工事を実現させた北垣知事。お口のところだけパクパクして、ナレーションを担当します。

左は主任技師の田邉朔朗。23際の若さで工事責任者になったそうだ。

ビデオの終わりに案内役のお兄さんが登場。

 

今度こそ乗船です。先ほど見えていた大津閘門の上を渡り、乗船場へ向かう。

 

案内してくれるお兄さん、これがまた元気イッパイ。

ジャングルクルーズを関西人がやったらという感じであった。

 

さあ出発です。ワクワク。

各トンネルの坑口には明治の偉人の扁額が掲げてあります。

この第一トンネルの大津側は、伊藤博文「気象萬千」です。

なんか昔の中国の字みたいですが、直筆なんでしょうかね?

 

トンネル内に入りました。内側はモルタルで巻き立ててあります。勾配は0.33パーミルですが、まあまあの速度で流れていて、船はほとんど動力無しで下っていきます。

この第一疏水、京都市民の飲料水確保のために計画され、後に水力発電、舟運に活用されることになりました。

昔は左右に歩けるスペースがあり、船を縄で引いて大津へ戻ったらしいです。

また、こどもが度胸試しに泳いで入ったとも。

第一トンネルは2400m直線で、普段は出口の光が見えるらしいのですが、今日は霞んで見えませんでした。6月の晴天の日でも中はひんやりします。淡水独特のにおいも。

 

ここがトンネルのまん中らしい。ライト以外、真っ暗です。

あれだけ楽しみにしていたのに、手掘りって聞いてなんだか恐ろしくなってきました。土被り150m以上あると思います。

 

霧の向こうに出口が見えてきました。

いきなり、壁の奥まった所に北垣知事の扁額「寶祚無窮」。読めませんよ。

 

すぐ先でしずくが落ちているところは、第一堅坑です。トンネル両側からに加え、(中間)立坑を上から堀り下げ、両坑口へ向かって掘削したのだ。

 

15分ほどで西側へ到達しました。

 

でたーっ!(内心ホッとした)

西側の扁額は、山縣有朋。

「郭其有容」これって漢文? わかりやすい四文字熟語にしてもらいたいものだ。

右端の凛々しいお方は、女性船長。

 

左の写真は緊急遮断ゲート。このあたりで県境を越えます。

すぐ脇に遊歩道が近づいてくる。電車の音も聞こえる。

毎朝、愛犬と散歩しているというおじさんと柵越しに挨拶した。

暗闇から抜け出たせいか、この辺りの新緑の印象が物凄く残っています。

 

諸羽トンネルを前にして、四ノ宮舟溜に到着。ここで下船します。

まだ午前9時半である。先は長い。

山科編につづく。