明治のトンネル

前回訪問のおわり際、不意に思い出したトンネルがありました。

それは琵琶湖疏水です。最初の工事が始まったのは明治18年。もちろん我々には何の関係もありませんが、約100年後にシールド工事によるトンネルも築かれています。ひと月後の早朝、再び訪れました。

浜大津から西へ歩いて10分ほどで琵琶湖からの川へさしかかります。

左手には水門施設のようなものが見えましたが、今回の第一目的はここではないのでひとまず通り過ぎます。

すぐ先に次の橋があります。右手は琵琶湖、

左手は川というより「わんど」、流れていないように見えます。

その先にレンガ造りの取水口らしきものを発見しました。

ぐっと寄ってみると、

これが第二疏水の取水口です。そしてこの奥のどこかに今回の目的、「連絡トンネル」があるはずですが、これ以上は見えませんでした。

水は吸い込まれているようです。穴の上の額には「萬物資始」。

施設の入り口側へ行ってみましたが、入れるはずもなく・・・

ここは滋賀県なのに、京都市の施設となっています。

ここがシールドの発進立坑だったと思いますが、何も痕跡はありません。第二疎水の完成が明治45年、平成になって後、琵琶湖の水位低下に対応するため、第二疏水の20m下側へ連絡トンネルが造られました。全4.5kmの内、1.7kmがシールド工法、その約半分くらいに関わったと思うのですが、なにせ私の入社前でしたので、詳細は判りません。

 

さて、オシゴト関係はここまでで、お楽しみの方に移動します。

先ほどの川(この川が第一疏水)まで戻って西へ。石坂線を越えます。

振り返るとかすかに琵琶湖が見えます。

そして第一疎水の施設(大津閘門)が見えてきました。

 

びわ湖疏水船のりば、これが今回の第二の目的です。

チケットがなかなか取れない、人気の船と聞いていたのですが、

付近に人影が全く見えません。

不安になりながら、次回へつづく